阿野全成は、幼名を今若丸といい清和源氏の嫡流源義朝の7男であり、頼朝の異母弟である。母は有名な常盤御前で、弟に乙若丸・牛若丸がおり、後にそれぞれ義圓・義経と名乗っている。平治の乱で父義朝は死に、牛若丸を除き、今若丸と乙若丸は出家させられた。全成は山寺の醍醐寺に預けられたが、次第にたくましく成長し、その荒法師ぶりから醍醐の悪禅師とも呼ばれた。
治承4年(1180)源頼朝が韮山で挙兵すると、全成はひそかに寺を抜け出し、修行をよそおいながら頼朝のもとに参ずると、頼朝はその志に涙して感動したという。
全成は頼朝を手助けした功績により、駿河国阿野庄(現在の東原、今沢から富士市境一帯)を与えられ、阿野を姓として阿野全成を名乗り、この地を根拠地とした。東井出に居館を構え、居館の一隅に持仏堂を建てて祖先の霊を弔った。これが現在の大泉寺である。
鎌倉に幕府を開き、武家政治を始めた頼朝は正治元年(1199)に没したが,その後有力な御家人が次々と世を去ったため、源氏に代わって北条氏の勢力が次第に強くなっていった。全成は源氏の血を受け継ぐ者として、この状況を黙って見ていることができず、建仁3年(1203)5月に阿野庄において北条氏討滅の兵を挙げたが、幕府軍に謀叛の罪で捕らえられ、常陸国(現在の茨城県)に流され同年6月23日下野国(現在の栃木県)で処刑された。全成の首は阿野庄全成の館へ届けられたと伝えられている。
その後、源家の将軍として頼家、実朝が相次いで北条氏の謀略のために殺され、源家の正統が絶えるに及んで、全成の長男時元も承久元年(1219)2月11日にこの地で反北条の兵を挙げた。執権北条義時はただちに兵をさしむけ、交戦10日の後阿野一族は敗北して、時元も自殺した。全成・時元の墓は井出・大泉寺にあり、市の史跡に指定されている。
| 郵便番号 | 4100319 |
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| 住所 | 静岡県沼津市井出744 大泉寺内 |
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